先代のお話

湯川誠一教話集 第二集の中より
金光様のご家庭を拝して」

三代金光様の奥様も、金光様が毎朝四時にお広前にお出ましの時には、何十年もの間欠かさず金光様の後ろについてご参拝になられました。
年をとられ足が不自由になられてからも、やはり、そのことを続けて折られました。

毎年寒三十日の間は本部教庁のお広前で“朝の教話”が行われましたが、奥様は一番前に座って若い先生方の講話をじっと聞いておられました。
信奉者等に混じって教祖様の奥城にお参りになっている御姿も、よくお見受けしました。
これらは、、金光教主様の奥様であられても、やはり一信者の立場という線を守り通されたということで在ります。



銀座教会初代教会長湯川誠一先生の教え
「本当の神様を」

ご時候に対して、知らず知らずご無礼をしないようにして頂きたい、暑いときは暑いと思ってよろしい。
その中から「有難うとございます」と思うようにすることです。
なぜ暑いのが有難いか。お米がよく出来、体を丈夫にして貰っていること。
これを喜びとするのです。「暑い」「暑い」といっていると、ついには暑さに負けるのです。
「暑い」「暑い」ということにむせてしまい、暑さの中に自分が浸ってしまい、その挙句は布団の中にはいってしまう。暑いから暑さに打ち勝つおかげをこうむるようにすれば、それだけ丈夫にしてもらえる。

信心というのはそこにあるのです。

困った困ったといっていると、いつまでも困った御蔭です。
いくら信心していても、困った神様に信心しているのですから、困ったお蔭を頂くのです。
つまらないと言っていたら、つまらない神様を拝んでいるのです。
「生神金光大神様、天地金乃神様」と、お願いしても、“これは困ったことだ”と言っていては、困ったお願いになっているので、困ったお陰になるのです。

「生神金光大神様 天地金乃神様、どうぞ集金が都合よく寄りますように」と願っても、もしも寄らなかったら、どこそこへ行って借りてこようとおもっていては、借りる神様になっているのです。
神様の御名は唱えているけれも、その後で本心を行っているのです。
「己れくそ」と言えば、「己れくそ」のお陰になる。それでは何にもなりません。
本当の神様をお祀りし、おすがりして行かなければなりません。